2011年4月13日
世論時報
世論時報 (H22.12月号、H23.1月号) より
銀河釉の温かい光を世界に届けたい
陶芸家・中尾哲彰
「銀河釉」の開発
ひたすらの実験と検証
今まで歴史的にあまり使っていない金属を使ってみると面白いことになるかもしれないと考えて、タングステンやモリブデンを釉薬(ゆうやく)の中に入れてもみました。約1%から5%くらいの範囲で入れると、大体、結果が見えるんです。多くは入れません。普通は、銅であれば、織部とか青磁とか作る場合で0~15%くらい。多くてもそれくらいなんです。窯変天目になると、結構使って30%、場合によっては35%入れるんですね。飽和状態にして作っていくんです。私は、それをやろうという気持ちは無かった。今までの伝統的な焼物の色を出そうとは思わなかった。
ついこの前までは、東工大教授の素木洋一氏が日本の焼物の研究で第一人者でした。その人が書いた「釉とその顔料」(技報堂1968年刊)が一番良い本だと思います。私はその本をほぼ丸暗記しました。焼物に関する金属の化学反応については、最近もっとすごい本が出ているかもしれませんが、英語とドイツ語の文献も多く集めて参考にして、後は、実験と検証です。そうして、今までに無かったものが段々と出来てきたのです。
色のヒントは色々あります。自分としては、まだまだもがいている段階です。賞としては、ルーブル美術館とかプラド美術館からとても高い評価を頂いていますが、もっといろんなものに挑戦したいと思っています。
日本人のノーベル賞学者がインタビューに答えて、昔は机一つあれば賞が取れたけれど、今は高価な研究装置と研究スタッフがいないとだめです、と言っていました。私の場合も新しいものを作り出すためには従来の設備では不都合なんです。窯も五基持っていて、全部自分で改造しました。それぞれの窯には特徴があり、性格が違うんです。
車も自分の好みで足回りを変えて、改造したりチューニングしますね。私も自分の好みを出せるように調整しました。この色はこの窯をこういうふうに使ってと考えます。
窯の中の高さ1m内の温度分布差を如何にしてゼロにしていくか、上の方が1250℃で下の方が1200℃と、50℃の差が出れば、化学反応の速度が異なり、色が全然違って来ます。私の場合は、結晶化が1200℃位から始まり、温度が少し違うと、色が出ません。銀河釉は普通の釉薬の場合とは違います。天目や青磁は炉内で面の温度管理をすればいいけれど、点の温度管理と温度変化の管理が必要です。だから、自分が焼きたいものをイメージしても、素焼きまでは良いですが、実際の窯の温度を考えると、冬の間には焼けません。やはり三月くらいまでは動けません。
社会学者への道から転身
網膜剥離がきっかけになって
大学に自分の求めていたものはなかったのですよ。だから大学を止めました。親父は焼物をやっていて、若い頃十年くらい手伝ったんです。或る程度の技術も身に付いて、物を作り出す実感も味わっていました。
若いころにベトナム戦争があって、それと格闘していました。キルケゴールは、ニーチェは、こう言ったとか聞いても私には通じません。それは、十九世紀の人間が感じたことで、その考えが今の私共にどう関係するのかが分からなければ意味が無い。学問ってそうでしょ。私の生き方と結び付いていて意味があるわけですから。
そんなふうに私が暴れていた時に、自分の研究室に来いと声を掛けてくれた商学部の先生がいて、中尾君が求めるものを教えることは出来ないかもしれないが、一緒に考えることは出来るよ、何やってもいいからおいでよ、と言われて、その先生は五年前に亡くなったんですが、亡くなる前まで親子以上と言えるくらいに可愛がって頂きましたね。泊まりに来いと言われて行きましたし、普通の師弟関係を超えた関係でした。本来の教え子ではないんですがね、嬉しかったですね。
焼物を作りながら、片方で、そういう勉強もしながら、それがあったからめげなかったですね。
学問って終わりがないですからね。マックス・ウェーバー(1864年~1920年)を一所懸命に勉強し、研究しました。
学問と焼物というまったくの別物が、心の中で精神的にぶつかっていたんだと思います。自分の生きる方向について正反対のものが互いに葛藤し、分裂していたのでしょうね。それが、眼の病気として現われてきたのではないでしょうか。人間の心と体は一つですからね。
絶望の淵に沈んで
脳裏に浮かんだ星空のイメージ
今は、生きていることがとても楽しいんですが、三十二歳の時に、網膜剥離になって、仕事ができなくなり、すべて中断せざるを得なくなりました。
ほとんど失明状態で、何も見えませんでした。半年くらいはほぼ地獄でした。もうどうしたら良いのか、凄い心の葛藤がありましてね。それで、もう死んだほうがよいのかなと、絶望の中で冷たくなっていました。
半年くらい何もできなくて、お手洗いには行けますけど、急にめくらになると、時間の感覚もなくなって、それが私にとって一番の苦痛でしたね。時々、物音がしたり、人の話し声が聞こえたりすると、今は昼か、と分かる。自分で食事も作れません。家族が支えてくれました。凄く辛かったですね。
それで、しばらく経った頃に、夢というのですか、脳裏に星空のイメージが浮かんだのです。
「アッ、もし自分が仕事に復帰できたら、星空みたいな釉薬を作って、苦しんでいる人、悩んでいる人、困っている人に、何か明るいメッセージを、元気になって下さいよ」と伝えたい!、と思ったんです。
段々とその気持ちが強くなって、それが自分の使命だと思えるようになって来たんです。それは、何か以前から持っていたのではないかと、思います。以前からそういうものを探していたのは事実です。
佐賀医科大学で診断を受けてみたら、治るかどうかわからないと。治らないにしても、自分の納得できるお医者さんにかかりたいと思いました。
慶応の医学部に何とかしてくれと連絡を入れたら、眼についての良い医者はいないと言われて、ある人がいろいろと当たってくれて、九州に二人だけ直せる人がいる、と。自分で好きな方の先生を選んで良いと。それで、自宅から距離的に近い先生を紹介してもらいました。
お陰様で、手術して、普通の生活が出来るくらいまでに回復することができました。
収入の無い十年余を支えてくれた
厳しかった陶芸家の父
日本も景気が悪くなり、新しい焼物をぼちぼちと作れるようになっても、売れない。売る場もない。大学の先輩が或る百貨店の課長だったので、どうにかしてくれと頼んで、会場を設定してもらって、一回目は応援してくれましたけど、二回目はもうお付き合いしてくれません。収入は無いわけで、それが十年以上続きましたね。
しかし、親父(おやじ)が私をわかってくれて、支えてくれました。士官学校出身で、教官をしていましたから、私もそれと同じやり方で教育されました。滅茶苦茶厳しかったです。だから、高校までは、音楽とか図画とかは点数悪かったです。私にとって反面教師の親父でした。でも、私が眼を悪くした時、親父の態度が変わりました。息子の思いを支えようとしてくれたのです。
銀河釉の開発は、最初、何も解りませんでした。幸運なことに、親父は日本碍子の研究室に何年か居たんです。それが、家屋敷を断絶できないから、帰って来いと言われて実家に戻った。親父は、基本的な化学を勉強していて、当時は、窯業試験所から聞きに来るくらいの知識を持っていました。
それで、解らない時は、親父に聞くと、助言してくれました。これをやってみて性質を調べたらどうだ、等と。そんなことから、一つ一つ焼物の技術を身に付けましたが、焼物の歴史とか、釉薬とか、土の勉強をほとんどしていませんでした。作ったものが只売れれば良いという考えでしたね。
土は色々な土を混ぜて使います。唐津焼きみたいなザラザラした、ちょつと色の付いた土を使うと、全体が暗くなって色は死ぬんです。これではダメだということで、有田の磁器の土を使うと、アイスクリームみたいに質感が無くなるんですね。
優しい光、あったかい光、人を包み込むような光、そういう光が感じられるものを作りたいと思っていたんです。元気を無くしている人が明日は元気になるような、辛い人の心が和らぐような、そういう光を得るために、工夫しました。やはり、明るい光じゃないと駄目なんです。そんな光を感じて涙を流して喜んでくれる人に会うと、ほんとに嬉しいです。土は土で、ものすごくテストを重ねました。化学の他に、一般教養も無かったので、それを補うのが大変でした。さまざまな事を学ぶ内に、段々と目標が見えて来ました。
独自のものを作り出して行く努力
自分をコントロールしてこそ
美術関係の仕事をしている先輩に、私の焼物をお土産に渡していたら、物々交換をしようということになって、英語の文献を探してくれて、私が探せない文献をアメリカで見つけて送ってくれました。有難かったですね。
私の陶器はあったかい光なんですよ。眼を悪くしてから取り組んだので、金銭欲とか名誉欲とか地位欲とかそんなものが不思議なくらいきれいさっぱり無くなりました。
ただ、家族が困るようなことだけはしたくありません。子供が学校に行けないとか、そんなことにはしたくない。下の子が小学生の時は野球と少林寺拳法をやって、中学一年生の時に少林寺拳法をやりたいと言ったから、高校までやるならやっていいと言いました。黒帯も取って、今年の夏に各県から一位二位の二校が出る全国大会にも出場しました。
その子が最近、お父さんの後を継いで陶器をやりたいと言うんです。それで、お父さんはただでは教えないぞ、と言いました。お父さんは、おじいちゃんの陶器を超えただろう、だから、おまえも私を超えて行かないと駄目だ、と言っているんです。
よく、柿右衛門が何代続いたとか言いますが、発展的に続いているのではないです。ミケランジェロ十五代目とか、ベートーベン八代目とか、あり得ませんよね。諸葛孔明五十八代の子孫は生きているけど、社会が人物を認めているわけではないです。
家元制度は日本だけなんです。私の技術は私のものであって子供のものではないんです。金儲けの道具ではないです。私が世界に伝えるために作った色であって、個展を開くと、弟子にしてくれ、お金を払ってもいいから弟子に入れてくれと人が来ますが、最初の五年十年は、私の眼が届く間は努力するでしょうが、人間は必ず堕落します。自分は自分でコントロール出来ますが、他人をコントロール出来ません。だから、弟子は取りません。子供にも同じことを言っています。
私の中にそういう血が流れているんでしょうね。中学校の時もまともに勉強しなかったし、学校の運動場で一人で運動したりして先生から怒られたし、自分の中には、人と同じ事をしたくないという処が先天的にあるんですね。大学の時にそれが爆発して、教授と大喧嘩もしたし。
第二の開国に直面している日本
絶対的な孤独からの脱出を
今の日本は第二の開国の時代だと思います。第一の開国は明治維新です。第二の開国が始まったばかりだと思います。日本の社会構造は、十二世紀前後の鎌倉時代に家族制度などが少しづつ固まりだして、多少の変化もあって今日まで続いて来て、明治時代にはそれらをうまく利用しながら天皇制が出て来て、敗戦の時に無くならなかった。家族制度が生き返り、会社もファミリーとして残って来たのです。
年功序列は、或る意味ではファミリーですよ。グローバル化とか言っても。ヨーロッパは、キリスト教もイスラム教もそうですが、宗教の世界では、人間は神とつながっていますから、絶対的な孤独というのは無いんですよ。ところが、最近NHKが「無縁社会」と言い出しました。日本の社会は村社会とか、地縁血縁でつながっていましたから、それが切れると、絶対的な孤独なのですよ。
その絶対的な孤独が自殺の増加に繋がっています。絶対的な孤独の人をどうにかしたい。そういう人をどうやって同じ人間として、仲間だよというネットワークに繋いで行くか、それが今の社会の課題です。
私の場合は、そういう孤独な人に私の作品を届けたい。その作品の明るい光を。
かつて、マルクスは人々の疎外感を言いました。資本家も労働者も疎外感に落ち込む、と。このまま行くと危ない社会になって行くと思うんです。歴史的に今まで経験したことの無いことが起こって来ます。
文化の多様化と共存が大切です。私は国境なき医師団の職人版を作りたいです。庶民の日常生活を手作りの技術で直ぐに支える集団として世界で動くのです。昔、ドイツにバウハウスがありましたね。ああいうものを作りたいんです。掘立小屋でいいから技術を教える所を作りたい。研究する機関であり、同時に人材育成をして、生産もする機関。そうしたら、人類が蘇(よみがえ)るんではないか。
八十年代中国にて、出資者を探して交渉し、金は出すから計画書を作ってくれ、と言われたけれど、私は病気して動けなくなった。その悔しさがあるんです。
ウェーバーを学んで現実社会を見る
人の心を理解していく
まず、経済的な問題を解決してやれば、人は文化を作ります。そうして、それぞれの文化が共存する。文化の多元性が可能になって来ます。最近、資本主義経済の問題点が分かってきました。このまま行けば文化の単一化が進行し、間違いなく滅亡に繋がります。だから、新しい文化を育てなくてはいけない。
将来、中国に資本主義経済が移入されるようなことがあったら、歴史上かつてなかった繁栄を見るだろうというウェーバーの予測があったのです。それが頭の中にあったから、近い将来の読みもあって、今も悔しさが残ります。
ウェーバーは、人間社会が発展していくと、心がやられて行く。だからこそ、人の心を理解する社会学が必要になると言っています。私はウェーバーと十年間格闘しました。研究していることと現実の社会とどう関わっているかを見ないと、学問する意味がありません。葉っぱは見えても、木を見ていない、木は見えていても、木が育っている山を見ていない、ということになっては役に立たない。
日本は、これからもっと酷くなるのが心配です。若い人や子供たちに旺盛な意欲が低下しています。社会の変化は速いです。アッという間ですよ。これからは、外国人が多く入って来ます。そうすると、外国の文化を応用していくほど心が豊かではないですから、昔風な右翼的な人が増えるのではないか。とすると、日本はこれからが大変です。これから日本は、落ちるにしても急激に落ちてほしくない。せめて、ゆっくりと落ちて行くようにしたいです。
銀河釉に込めた「愛と自由のやさしい共同体」への願いが少しでも社会へ届く事を願っています。
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