

2026 Spring GINGAYU Exhibiton
「次世代の現在地」
ご挨拶
2026有田陶器市開催に合わせ、
「次世代の現在地」を展示します
師の旅立ちから一年
銀河釉を継承した私たちの今


開催にあたって
一年前のこの時、
私たちはここで亡き父であり、師である中尾哲彰の 回顧展を開催しました
一年が経った今、あれから私たちはどれほど前へ進めたでしょうか
教えてくれる人を亡くし、私たちは残された手がかりをもとに、前へ進むほかありません
新しい土、新しい色、新しい形
師を失い、土を失った今だけど、
いや、今だからこそ自ら実験し学ぶ中で、新しい可能性に出会う
「次世代の現在地」
それが今年のテーマ
次世代の小さな、しかし、大きな一歩が踏み出されます

銀河釉 第二章
この動画は、今年1月に放送されたnews every.の特集です。
銀河釉の継承に奮闘する弟子ステンと息子真徳の日々に密着いただきました。

0.プロローグ 物語の続き
中尾哲彰/回顧展の続き

2025年3月、師であり父である陶芸家・中尾哲彰が旅立った。
その翌月開催された毎年恒例の陶器市、涙も枯れぬまま私たちは、父の作品のほぼ全てを展示するに留め、「中尾哲彰/回顧展」を開催した。
これは、その続きである。
中尾哲彰/回顧展の第4章「物語の続き」
私たちはここから始めようと思う。
銀河釉を生み出した父が第1章なら、
銀河釉を受け継いだ私たちは、第二章。
第二章のプロローグ、続編の始まりである。


回顧展・第4章より
銀河を受け継ぐことを夢見て、
一人の青年が空を超えてオランダからやって来た。
ステン・ヴァンダーレン
当時まだ、娘はオランダ、息子は東京にいる頃。
全く日本語を話せなかった青年と、哲彰とその妻・知佳子との不思議な修行生活が始まった。
日本に来て三日目、
まだ一度も、工場で並んで教えてもらう前に、哲彰は倒れた。
車椅子姿になった。
それでも、託し続け、受け取り続けた。
焼き上がった焼き物を片手に、そのやりとりは病室でも決して止まることはなかった。


「お父さんを超えろ」
そうやって、息子・真徳は育てられた。
今では、大学院に通いながら窯を焚く日々。
まだ入院していた時、父の書斎を整理していると一枚の紙が出てきた。24歳の中尾哲彰が書いた機関紙『慶應プロジェクト』の文章だった。
「その内容に、強い衝撃を受けました。自分が大学院で研究しようとしているテーマと全く一緒だったんです。」
同じ血が通っていることを知った瞬間だった。
小さい頃はよく工場に手伝いに行っていた。
ロクロの音を聞きながら、私は焼き物に敷くハマを叩いて、社会のこと、哲学のことについての話を聞くのが好きだった。それが二人にとって大切な時間だった。
今はその時の景色、昔手伝っていた時の記憶を頼りに、銀河釉と格闘する日々。


1. 釉薬の研究
残された謎、まだ見ぬ新しい銀河を求めて

2023秋、入院した父に代わり、訳もわからないまま初めて自分たちで銀河釉を焼いた。
「いや、全く焼けなかった。全滅だった。」
父が入院した時、私たちの手元に残されていたのは書きっぱなしの焼成のグラフと、調合のレシピのみ。
絶望したこの日、私たちの途方もない冒険の旅が始まった。
焼成の温度、焼成の時間、釉薬の濃度、施釉の時間、天候...さまざまな条件を変え、実験を繰り返した。
「成功確率10-20%」
去年の陶器市の頃、私はそう説明していた。


「よくて半分。悪ければ全滅。」
これは中尾哲彰の言葉。
それは、父でさえそうだったのだ。
銀河釉とは、未だ存在しなかった釉薬、そもそも技術の臨界点で焼いているようなものだったのだ。
窯を焚くこと60回以上、2025秋。
やっと銀河釉基本5色が本来の輝きを取り戻してきた。
春銀河、夏銀河、秋銀河、冬銀河、睦月銀河
窯を開け、そこに輝く綺麗な結晶を目にした時の感動は、未だ忘れられない。


「茜銀河」「漆銀河」「真朱銀河」...etc
銀河釉の基本5色を超えた発展色、それらはそもそものレシピさえ残っていない。残っているのは、実際の作品と大量の謎のバケツ。
これを手掛かりに、さらなる探究が始まった。
銀河釉は掛け算によって新しい表情を得る。そのことは、これまでの父の言葉から知っていた。
手始めに、基本五色を掛け合わせることで、どんな銀河が生まれるか実験した。
「翡翠」「空色」「若葉」「氷色」
パステルカラーのような淡い銀河が生まれてきた。


「銀河釉はまだ発展途上。まだまだできることがある。」
それは、病床の父が最期に言い残した言葉。
3年前の陶器市の後、
その生前最後の窯でこれまで見たことない流れる氷河のような景色の冬銀河を生み出した。
「創造力の冒険」
銀河釉の副題にはいつもこの言葉。
きっと最後の最後まで冒険を続けていたのだろう。
2026冬、
私たちはついに調合自体に手を加え始めた。
全く新しい銀河の誕生を夢見て。
茜銀河を思わせる銀に縁取られた結晶。
そしてそれを掛け合わせてさらなる色へ。
私たちの冒険は続いていく。
いつかそれが自分たちの代名詞となるその日まで


2.土の研究
一つの時代の終わり

「中尾荒目」
それは父が地元の土屋さんと共同で開発し、辿り着いた特注の土。
そして、それはさらなる改良を重ね続け「中尾土物」へ。30年以上、文字通り銀河釉を支え続けた専用のキャンバスだった。
釉薬のためだけではない。
一本の土の塊を継がずに薄く引き延ばすろくろの技に耐え、何度も色を重ねるため入れられる窯の炎に耐える実力が必要だった。
梅崎陶土に挨拶に伺った最後の日、
ボンドで継がれた一つの素焼きの茶碗を手に取って、こう話された。
『「梅崎さんの土はここまで薄くひけるんです。そうやって見せて品質を示すのに使ってください。」これは、中尾さんがそう言って持ってこられたものなんです」
落として割れた生地を継いでまで、最期まで保管してくださっていた。心が切り取られるような瞬間だった。


2026年2月、銀河釉 玉峰窯へ最後の土が納品された。河川工事の立ち退きに伴い、土屋さんが廃業されることになったのだ。梅崎陶土、最後の仕事は「中尾土物」の納品だった。
父を失い、土を失う。
一つの時代が終わった。
それでも、私たちはこの道を進む
最後に頂いた1.5t、それが次なる土を探すまでのタイムリミット。
全国から土を取り寄せ、時には自ら山を掻き分け、
銀河釉を掛けて焼いていく。
色んな土を試す中で、銀河釉の新たな表現の可能性にも出会う。
ただ、実験を重ねる度に分かってくるのは、これまでの土の完成度の高さ。
代わりとなる土は、未だ見つかっていない。


大量のぐい呑、テストピース
土が変われば同じ釉薬でも全く表情が異なる。
父はそれを良いとは言わなかったかも知れない。
だけど、私には美しいと言える新しい銀河が、少なくとものその可能性がここにはあるように思う。
ただ、ろくろやたたら作りといった造形のしやすさにおいては、全く比にならない。
「梅崎さんの土が一番作りやすい。」
この旅の終わりは見えていない。
これほど高く細く、一本の土を延べ上げた作品を私はまだ他に知らない。
私たちがここへ辿り着く日は来るのだろうか。
それ以上に、その日を維持し続けられる未来はあるのだろうか。
土は当然自然のものだから、掘り続けたら変わりゆく。そして、それを取るのも人間だから、その技術もきっと変わりゆく。
この変化のゆらぎの中で、銀河を焼き続ける難しさ。40年銀河を焼き続けたことの難しさを、私たちはまだ知らない。


3.思想の研究
「願いにも似た想い」

陶芸家、それはあくまで中尾哲彰の一面でしかなかった
「中尾君はたんに陶芸家であるだけではありません。陶芸の美の追究者であると同時に、社会の共同生活のうちに人間的真実を認め、その実現化を目指している人物です。」
生涯の恩師、石坂教授の推薦の言葉。
哲学、社会科学を学び、学者を夢見た若き半生、 そして大学に失望し、陶芸の道へ。彼の原点は、きっとここにある。
独特なタイトルの作品群、
そこには、彼の「愛」と「自由」への想いが 平和への願いが込められている
「中尾君の関心は、個人の内面的自由の相互的尊重のもとに、皆んなが協力し合って、それぞれの人が、自主的な自己形成に向かうことのできる社会の形成にあるようです。彼はこれを「やさしい共同体」と呼んでいます。」
推薦の言葉の続きである。


銀河釉を受け継ぐこと、 それはその哲学さえ探究することを意味する。
私は今、窯のある佐賀と大学院のある京都を行き来している。佐賀では、土に向き合い、器の中の宇宙を探し求める。文字通り泥臭い仕事だが、この小さな器の中に無限の可能性を見ている。
陶器市や展示会が終わり、ひとたび京都に戻れば本を開く。ここでは、父が探し求めていた理想郷の輪郭を探る旅が始まる。小さな器の中に拡がる世界とは、どんな景色をしていたのだろう。
「愛と自由のやさしい共同体」
それは、父が生涯夢見た世界だった
「武器のない、国境のない世界」
どうすればこの人類の夢のような社会に辿り着けるか。不可能に見えるこの未来を前に、 暗闇に光差す夜空の星々に願いを託し、 銀河釉の作品を通して光を届けようとしていた。


四面を本で囲まれた書斎、年を経るごとに積み上がる学術書。たとえ、私が読書だけに生涯を捧げたとしても、全てを読み終えることはないだろう本棚
彼の思想の全貌を理解するのは難しいかも知れない。
それでも、一つ一つその本棚から手に取るのは、 これから私たちが銀河釉を通して 何を伝えることができるか、
銀河釉とは、そうした願いににも似た想いとともにあるからである。

to be continued...







