p.75 誕生日おめでとう
- 作者の息子

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更新日:2 日前
1月30日、父・中尾哲彰の誕生日。
生きていれば74歳。

去年の今日は、家族みんなで祝う最後の誕生日になった。
本当は、73歳を迎えることさえ難しかった。
そんな中、病院を脱し、家で正月を迎え、誕生日も祝った。
後悔することなどないのかも知れない。
オランダの大学に戻っていた姉とも繋いで、病室で家族みんなでHappy Birthday to Youを歌った。そして、少しだけ退院した後の話をした。
「退院したらどういうのを作りたい?」
その時に交わした会話の音声が、今も残っていた。
「とんがったやつ」
父は、それを作りたいとよく言っていた。
それがどんな形をしているのか知りたくて、絵に描いて見せたこともあったが、
いつも父には設計図など無く、頭の中のものが急にボンッと土の形となって出てくる。
私は、父が図面を引いているのを見たことがない。

「創造力の冒険」
生涯父が掲げていたテーマ、ここにはどんな背景が隠されていたのだろう。社会科学をずっと研究してきた彼の哲学が、どう芸術、美に結びついているのか知りたくて、私は美学の本を読み始めた。そして、大阪大学の美学研究室にお邪魔するようになり、そこで出会った1冊、『美学辞典』の「創造/創造性」の項を開いてみると..

並の職人の作る道具のようなものは、一定の作り方の処方に忠実に従えばできる。...中略...これに対して、創造といいうるのは、当初の設計図と定式化した処方箋に従うだけでなく、そのような見込みを超える何かを実現することである。逆にいうならば、制作の対象は正確な設計図を書くことのできるものであるのにひきかえ、創造の対象は、そのものを実現することよりほかに、設計図や言葉による記述によって、それを表現する手立てがないようなものである。(出典:佐々木健一『美学辞典』)
学者を諦め、論文ではなく焼き物で表現することを選んだ父。そうか、それは陶芸でしかできない「創造」だったのかも知れない。
『美学辞典』の脚注では、こう続く。
創造の人間学的概念を最も鮮明に打ち出した思想家はアランである。「芸術家が如何なる点において職人と異なるかをここで述べておかねばならない。観念が制作に先立ちそれを規制する場合は何時でも工業である。しかも作品は工業においてすら、職人が制作を試みるや否や彼がはじめに考えてゐた以上のものを見出すといふ意味において、しばしば観念を改めさせうるのも事実である。この点職人も芸術家といへるが、それは瞬間的にである。しかし一つの観念を一つの事物のうちに再現したものは、家屋の設計図のやうに極めて明確な概念の場合にすらいへることだが、予めよく規制された機械でさえあれば同じ作品が千も造れるという意味において、機械的作品にすぎないのである。...観念は彼[=肖像画家]が制作するにつれ湧いて来る。あたかも絵が観賞者におけると同じやうに、観念は後から生まれてくる。そして画家自身もまた生まれつつある自己の作品の観賞者だといふのが、より正確であろう。そしてこれこそ芸術家に固有なことである。天才は天与の恩寵を受けてゐて、自ら驚くといふのでなければならない。美しい詩は先づ企画のうちにあって、それから作られるのではなく、美しいものとして詩人に現れる」(出典:佐々木健一『美学辞典』)
なるほど、最初に設計図があってそれを再現していくのではなく、むしろ作るという行為の中で、自らの想像力さえ超えるそれ以上の「何か」を創造しようとしていたのかも知れない。
『幸福論』でも有名な哲学者・アラン。
そういや父の書斎にもアランの本があったはずと思って見てみると、やはり著作集が全巻並んでいた。

きっと父も目を通したであろうこの文章。
その時に、彼は何を思ったんだろうか。
職人に対し、比較的低い評価をしているアランの文章だが、作家として初めて東京で個展を開く際に取材された記事では、
「芸術家ではなく、一人の陶工でありたい」
と書かれていた。
半世紀に渡る長い作家人生、その「創造力の冒険」の道中で、彼の思想も変わっていったのだろうか。いや、そもそも私の知識と想像力の向こう側では繋がっているのかも知れない。

私は今、まさにこの問題について考えている。
無銘の陶工を評価し、「民藝運動」を提唱した哲学者・柳宗悦。彼の思想とその課題について昨年11月に大学院のゼミで発表したところだが、父の先ほどの言葉には、明らかに彼の思想の影響があるように感じられる。そう思って、書斎の本棚を探してみたものの1冊も見つからない。
読んでないはずないけどな、
と意外に思っていたが、この前偶然、寝室の方の本棚に4冊ほどあるのを発見した。
やはり、読んでいたか。


個性と自然、疎外と創造力、人は幾度となく新たなユートピアを想像し、破れてきた。父の想い描いた「愛と自由のやさしい共同体」は、どんな景色をしていたんだろう。
銀河釉の謎解きは、陶芸だけでなく、その哲学にも続いている。いや、むしろその哲学が陶芸に続いているとこそ言うべきか。
この冒険の果てに、どこまで辿り着いていたんだろうか。
入院中は、必ず「本を持って来て」と言われ、指定された本を届けていた。
去年の今頃は、本など到底読めないほど、すでに目が視えなくなっていた。
それから、もう退院することはなかった。

最後に作りたいものを聞いた、さっきの会話の中で出てきた「オベリスク」
それは、天と地を結ぶ象徴でもあったという。
星空に昇る前に、最後に架け渡そうとしてくれていたのだろうか。
誕生日おめでとう。
あなたの夢は、まだここに続いています。



ブログをありがとうございました。銀河釉の存在を知って日が浅いので遺された作品群に感銘を受けながらも作品にこめられた想いを知る機会がなく無念でしたが、今朝のブログは私のような一般人でも作者理解と作品鑑賞のヒントになるものでした。文献解題のように作品を鑑賞していけるといいのだなと感じました。残念ながら哲学や美学に触れたことはありませんが、参考文献を読んでみたくなりました。同時に銀河釉の世界がこれからも続くことを力強く宣言してくださって安堵しています。本当にありがとうございました。
お誕生日おめでとうございます
私は先生の作品が大好きです。
私は身体があまりつよくなくて
遠くに行く事が出来ません…
インターネットを通じて作品を探しています。
本当ならそちらまで会いに行きたかった先生の作品が恋しくて…
中尾哲明先生 永遠に先生の夢は作品の中にいます。
これからもずっと……