
p.76 一周忌
- 作者の息子

- 5 日前
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更新日:2 日前
3月8日夜、
一年前のこの日中尾哲彰は、夜空へと旅立った。

この日は、私にとって長い長い1日だった。
朝、突然電話が鳴り響いた。病院からだった。
一瞬嫌なことを考えた、でも、今回も大丈夫だろうという気持ちがすぐに、私に平静さを取り返した。実は、こういうことはこれまでに何度もあったから。
その度に、父は次の日も、その次の日も変わらず病院のベットに寝ていた。
しかし、今回は次はなかった。

呼ばれた朝から23:04まで、父の命が絶えていくのを私たちはそばで見守っていた。
姉もオランダから飛んで帰ってきていた。
前日の夜になんとか間に合い、最後は家族全員に見守られて飛び立った。
とてもとても長い1日だった。
父が亡くなった次の日の夜も、その次の日の夜も、一人の時間になればずっと病室で鳴り響いていた酸素低下や血圧低下を知らせる警告音の耳鳴りが止まらなかった。

時が経ち、2026年を迎え、最近父が読んでいたはずの本をまた読み始めた。
「イリイチはいい」
父がそう言っていた言葉を記憶していた。
そして、ちょうど大学院のつながりでイチイリの思想を研究している方に出会い、共に著作を読みながら勉強会をすることになった。
その著作において、真に進歩的な社会のあり方について述べている箇所の中の次の一文に、私は線を引かずにはいられなかった。

人々がもう一度自分の家で生れ自分の家で死ねるようになり、
どうしてもこの一文が私の頭にこべり付いた。
父が迎えた最後の瞬間はあの場所であっていたのだろうか。
私たちは、最後に父の望みを叶えることができなかったのではないだろうか。
そう考えずにはいられなかった。
でも、こうして書いている今、母が後日、最期の時間を親戚に伝えていたときに言っていた言葉を思い出した。
「家のような空間にしてもらって、良かった」

閉められたカーテン、流れるカーペンターズの音楽、そして家族みんなに囲まれ眠る父。
父は安らかに眠ってくれただろうか。

先ほど引用した本のページ。
その後半には、「天職」という言葉が出てきていた。
非専門職化とは、天職の自由と、病人が資格をもった医師の擬似宗教的な権威から得ている時折の元気づけとを、改めて区別し直すことを意味する。
天職の自由
生涯父は、「Beruf(天職)」について分析を残したドイツの社会学者・マックスウェーバーの研究をしていた。「べるーふ」という言葉は、小さい頃から大人になった今も、よく父の口から聞いていた。

亡くなる前日まで、「家に帰ったら焼き物を作りたい」と言っていた父。
きっと彼にとって陶芸家は天職だった。それは間違いないことだろう。
ただ、そこに辿り着くには多くの悩みがあったであろうということを、山のように積み上げられた彼の本棚は教えてくれる。

父がよく唱えていたウェーバーの代表的著作の最後の一文。
精神なき専門人、心情なき享楽人、この無こそ、人間存在がこれまで達したことのないところに達したと自惚れるのだ。
この無なるものの対極にあるものこそ、父が生涯、在らんとした姿なんだろう。
「私は素人なんです」
途中までは学者への道を目指し、陶芸の学校を出た訳でもなかった父が、よく自らを指して言っていた言葉が思い出される。
きっと陶芸は、彼にとって図録の上だけやお金のためだけの仕事として切り分けることが出来るようなものでは決してなく、生きることにそのまま繋がっているものだったんだろう。
今や、父の言葉を聞くことはできない。
その代わりに、彼の本棚を探る。
父が引き残した線に、彼の思想の跡を辿るように。

今や、父の想いを聞くことはできない。
その代わりに、彼の焼き物を見る。
父が作り残した作品に、彼の願いの先を見るように。
きっとこの旅は何年も続いていく。
これからも中尾哲彰の断片と共に。
最後に、生前、中尾哲彰を応援いただいたみなさん本当にありがとうございました。父の人生は、作品を通して応援くださる多くの方々に支えられた人生でした。旅立ちから一年が無事に経ったことをご報告するとともに、改めて心より感謝申し上げます。




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