P.80 ステンとの出会い(前編)

ステン・ヴァン・ダーレン、
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホと同じヴァン。
数多くの世界的なアーティストを生み出したオランダからやって来た。
しかし、彼はそれまでは蘭を育てる農家だった。

なぜ、彼がこんな片田舎の日本に来て焼き物をやることになったのか。
思えば、大事なこの話をちゃんとしていなかった気がする。
(これまで、テレビの取材ではたびたび特集組んだりしていただいてましたが...)


だから今更になってだけど、どうして彼が弟子入りすることになったのか、前編ではそこまでをお話しして、
秋の陶磁器まつりの期間中に、師匠との修行生活、そして介護生活の話、それから師との別れを経てこれまでに至るまでの話をしよう。

2022年、春、
まだ工場(こうば)には、師・中尾哲彰と監督・ネルソンの二人。
この時、まだ息子は東京で大学院を休学して働き、娘はオランダの大学に通っていた。
佐賀では、ゆっくりとした時が流れていた。
そして、SNSに初めて動画を投稿したのが、この年の2月。

昔から見てくださっている方は、きっと覚えていると思うが、
この頃は、ステンの姿なんて当然ない。
父とネルソンだけの二人の世界だった。

2022年、夏。
娘・yuuriがオランダから彼氏を連れてきた。
お互いに言語を教え合うというLanguage Exchangeのサイトで知り合ったらしい。
だけど、当時はコロナ真っ最中。
当然、オランダから旅行者として日本に来るのは難しかった。

だから、技能実習制を活かし、うちが受け入れるという形で、当時あった弟子VISAなるものを発行してもらい、日本にやってくることになった。
念願の初来日。
ステンは、幼い頃から柔道をしていたりとずっと日本に関心があったのだ。

ようこそ日本へ、ようこそ銀河釉の世界へ。
ついに、やがて師となり、父となる中尾哲彰とご対面。

初めての日本は、思ったより緑が多くて感動したらしい。
ステンは、山にこもってサバイバルするような専門学校にオランダでは通っていたぐらい、根っからの自然好き。今も畑が趣味。
それなら、佐賀はもってこい。

そして、いよいよ(既成事実のためにも...)ろくろの前へ。
初めてのチャレンジは...
今見ると、皿板に並んでいるのはヘンテコな器たち。
だけど、真剣な眼差しの父。
この時には、すでに筋の良さを見抜いていたのかも知れない。

「面白い!」
純粋にそう思ったらしい。
気づけば、旅行など行かずずっと夢中になって色々教わっていた。
短い1ヶ月半だった。
だけど、オランダには当然仕事があるので、帰国。
良い思い出となった。

そして、2022年、冬。
年越し&お正月。
再び、日本へやって来た。
自分の気持ちを確かめるために。
この時には、決めていたらしい。
もう一度ろくろをしてみて、面白かったら仕事を辞めて、日本に弟子入り行こうと。
実は、この2週間の間で、削りから土出し、
釉薬の調合まで、基礎的なことは一通り教わっていた。
これが今思えば本当に良かった。
なぜなら、この時が隣で教えてもらう最後だったからだ。
彼の気持ちはもう固まっていた。

オランダでは、早く仕事を辞めたくてウズウズしていたらしい。
元々決まっていた辞めるタイミングを、交渉してさらに早めたらしい。
実は、オランダは農業大国で、そのやり方も超先端。
機械で自動制御し、グリーンハウスでガンガン管理する。まるで、工場。
そんな中、ステンは一人身支度を始める。
行先には、別の世界があったからだ。

「本当に美しいものを作りたいから、仕事をしています」
銀河釉を作り、焼くという仕事。
ステンは、この仕事に向き合う理由を、そう答えていた。
そう、ここには、別の仕事の在り方があったのだ。
それは、彼にとって、それまでの人生を、育った街を離れて行くのに十分値する理由だったのだ。
2023年、夏。
今度は、一人でやって来た。弟子入りするために。
彼女である姉をオランダに置いて。
私はまだ、東京で働いていた頃。
成田空港に迎えに行き、東京を案内するはずが、私が熱を出して寝込んでしまった。
あたたかい担々麺を作ってくれた。
オランダ人が担々麺なんて..と思ったのを覚えている。

そして、いよいよ本格的に弟子入りするために佐賀へ。
姉も私も佐賀に居ないのに、
日本語が話せないステンと、英語があまり話せない父と母の不思議な修行生活が始まろうとしていた。
しかし、それは早くも挫かれた。
ステンが佐賀へ来て3日後。
突然、父が倒れてしまったからだ...
(中編へつづく...)


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